Teardrops of the Tiger

Sophia Satoko ソフィアサトコの勇気が出るブログ

ヒトを動かす原動力をつくる方法

 

「アタシ、あの人達とは分かり合えないのよね」

たまたま付けた深夜番組でマツコ・デラックスがこう話していたことがある。「あの人達」とは、公務員の人達のことである。それを聞いて私は、「ああ、やっぱり」と納得したのを覚えている。

 

   ― 目 次 ―

 

 よくありがちな日常の出来事

 

 我慢、我慢、我慢……歩く歩調に合わせて私は心の中で呪文のようにこう唱えていた。その日私は近所の役所に行く用事があったのだ。

 

手に握りしめた三ケタの番号札と同じ番号が呼ばれた。私は指定された窓口へと向かう。そこには、白髪にところどころ黒髪の混じる小柄な男性職員が立っていた。うーん、どうだろうこの人は……、私は自分の頭にあるこれまでの経験のデーターベースに、その男性職員の特徴を検索値に入れて予測される人物像を弾きだしていた。案の定、一分も経たない内にその男性職員の態度は横柄になっていった。この人は、たかだか制度の説明をするのになぜ大声で説教口調なのだろう。しかも言葉の節々にいちいち嫌味を入れてくる。喧嘩を売っているとしか思えない。その男性のちょいちょい挟んでくる嫌味にイラッとしながらも、冷静に分析する。役所へ向かう道のりで心で唱えた呪文は少しは役にたったようだ。

 

男性は制度に関する小さな冊子を一部、机の上に出した。そして、自分の右の人差し指の先をぺろっと舐めてから冊子のページをめくった。

 

新型コロナウィルスの感染拡大するより遙か昔から、いちいち指を舐めてからページをめくるおじさんのことを私は恐れていた。テロの中にもバイオテロというものがあるように、細菌の恐ろしさは私にとっては最強レベルとも言える。

「よく分かりました。ありがとうございました」

男性の嫌味部分を聞き流し、制度について大方理解できたところで、私は丁寧にそう言って椅子から立ちあがった。その男性は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔とはそういうものなのだろうかというような微妙な表情をしていた。

 

 効果的な言葉の使い方とは

 

 「ありがとう」という言葉は諸刃の剣である。心から親切にしてくれる人の心には感謝の気持ちが伝わり喜んでもらえるというプラスの効果があるが、悪意をもって接触してくる人間にその刃を向けると、自分の心の浅ましさに気づくのかどうかは分からないが、微妙な表情をする人は多い。私は嫌味を言ってくる人にもあえて「ありがとう」と言うようにしている。

 

数十年前のことである。ある北米圏のスーパーで私は買い物をしていた。レジで並んでいた十代の女の子が会計をすませた後に、”Thank you!”とレジの従業員に言って立ち去った。その時私は、ここでは店の従業員ではなく買い物をした客の方がお礼を言うのだな、と思った。日本ではレジ打ちをしている従業員側が、会計が済むごとに一人一人お礼を言うからであろうか。もしかすると心の中では「ありがとう」という気持ちでいる客が日本でも多くいるのかもしれないが、従業員にお腹の位置で両手を重ねて「ありがとうございました」と言ってぺこりと頭を下げられると、その後でさらに「ありがとう」という言葉を返している客はそれほど多くはないようである。また、日本の日常において「ありがとう」という言葉よりも「すみません」という言葉を使っている場面が多くみられるが、私にはこの二つの言葉は似ているようでいて、ヒトとして何かとても大切な部分で大きな違いがあるように思えるのだ。

 

最近学んだアドラー心理学の考え方の一つに、「勇気づけ」というものがある。「嬉しい」という喜びの気持ちや「ありがとう」という心からの感謝の気持ちを相手に伝えることを言う。勇気づけをされた相手は、自分がした行為を「喜んでもらえた」「役に立った」と感じることができて、一層やる気が出るという好循環を生む。アドラー心理学では、人と人との関係は「対等」であるべきとしている。「対等」な横の人間関係を充実させることで、人は成長するものだという。人を「褒める」ことというのは、多くの場合は上から目線で見ていることになるので、褒める相手とは縦の関係と言える。そうではなく、「私は助かった」など「私は~だ」という「私」を主語にした“I(アイ)メッセージ”を使うように心がけて感謝の気持ちを相手に伝えると相手は勇気づけられる。

 

「勇気づけ」のすごい効果

 

 冒頭の役所での話に戻るが、私がちょっと不愉快な対応を受けたにもかかわらず「ありがとう」という言葉をぽつりと“落として”立ち去った場所をしばらくして訪れてみたところ、何だか雰囲気が明らかに違っていた。笑顔の職員が増えて、以前よりも活き活きと働いているように見えた。「お、ちょっと気が利くね」と感じるような相手の立場を思いやった接客をするようになっていて、威圧感も押し付けがましさも感じられない。私の方も、心にかかっていた雲が晴れたようで、なんだか嬉しくて小学生の子供みたいにスキップして家に帰りたい気分になった。

 

たとえそれが公共のサービスであったとしても、それを当たり前だとか捉えずに「ありがとう」という心からの言葉を掛けてあげる人が増えて欲しいと願う。そうすれば、世の中の底で渦巻いている何かが少しずつ変わっていくような気がするのだ。