Teardrops of the Tiger

勇気が出るブログ

男と女とオネエと……

テレビの影響で昨今「オネエ」という呼び名が定着してきた人々。彼女達は男性の身体を持ってこの世に生まれてきたけれど心の中は女性という外見と心のミスマッチをもつ人々である。

 

「オネエ」についてどう思うかというテレビの街角インタビューでは『本当のことをはっきり言うから面白い』など、好感度の高い女性の意見が放送される。「辛口コメンテーター」としてメディアのスポットを浴びるオネエが多い影響なのであろう。人々が思い切って本音を言えない社会ということなのであろうか。他の人が言ってくれれば、自分は何のリスクを負うこともなく気分をすっきりさせることができる。

 

女性らしく振舞っていたオネエが突然男の姿を見せたところに、黄色い声を上げて喜ぶ女性達をテレビカメラが映し出す。女性として生きたい男性が「女性」に受け入れられるということにも意味があるようである。「でも実は男なんだけどね」というポイントが少なからずあるようにも見える。

 

市民権を得たと言われるオネエ。テレビの世界で活躍しているそういった人達は、氷山の一角なのかもしれない。しかし、彼女達への良いイメージが世の中に定着すれば、偏見は減少するであろう。テレビの世界で人気を得た彼女達の功績は絶大だ。

 

しかし、面白くなければいけない、リスクが大きくて言えない本当のことをズバズバ言ってリスクを背負う「役割」を担わなければ市民権を得られない、というのであれば、そこには新たな葛藤が生まれるように思えるのだ。それは自分の心を偽って身も心も男性のふりをして生きるか、「辛口コメンテーター」という「役割」を背負って生きるか、という選択肢が目の前に現れただけなのではないだろうか。自分の心に正直な生き方をすればこの社会での生きにくさは解消されるかもしれない、と自由を求めて女性として生きる決意を固めたつもりが、「オネエ」という新たな型にはめられて生きる道を選択したことのようにも映るからだ。

 

オネエだけではない。自分らしく生きたい、と切に願っていても出来なくて苦しんでいる方は多いのではないであろうか。その他大勢と同じでなければいけない。怖くて自分を出せない。生まれ持ってきた性と心が一致していたとしても、苦しんでいる人は多いのではないであろうか。この世に一人として同じ人間はいない。それを数少ない型にはめられなければ生きる道がないという社会には無理がある。

 

自分の心に正直に自分らしく生きたい。それは結局、他人からどう思われるのかという軸を捨てない限り実現できないものなのであろう。信念、そして覚悟と決意をもって自分の道を突き進んでいった先には、もしかしたらその健気な姿に心を打たれ共感した人々が新たなスポットを当ててくれて、新しい道が開けてくるものなのかも知れない。